生活保護制度の節目になった2つの事件
今回は、現在の生活保護制度に大きく関わった
…と、元生活保護受給者の管理人が考えている
最近の2つの事件について紹介します。
2つの事件
・2007年7月10日 北九州市餓死事件
・2008年末 年越し派遣村
2007年7月10日 北九州市餓死事件
生活保護が本当に必要な方が
生活保護を受給できずに
餓死した事件です。
52歳の元タクシー運転手が
生活保護を打ち切られた直後に餓死しました。
彼の日記には
本人の意思にそぐわない
生活保護の辞退届を無理やり書かされた
という内容が残っています。
当時のニュースを知る方は
彼の日記に書き遺していた
「おにぎり食べたい」という言葉が
記憶に残っている方も
多くいらっしゃるのではないでしょうか。
北九州市はこの事件の前後で
門司区餓死事件など
他にも貧困層の死亡事件を出しており
一連の対応が大きくバッシングされました。
この事件を契機として
「市区町村の対応によって
死んでしまう人がいる」ことが認識され
生活保護を受給したい方が相談に来ても
なんとか理由をつけて追い返す
通称「水際作戦」が
多くの市区町村で見直されることになったと思います。
なぜ北九州市はこのような対応をしたのでしょうか。
そもそもですが
北九州市は、暴力団関係者の不正受給が多く
市が食い物にされ苦しめられた背景があります。
それに対し、暴力団への不正受給取り締まりなども行い
成果を出していました。
「おにぎり食べたい」と無念な最期を遂げた
被害者を出した結果だけを見ると
対応としては、行き過ぎと言えますが
不正受給に過敏になっていた担当者の気持ちは
理解できなくもありません。
2008年末 年越し派遣村
リーマンショックからの
世界的な不況による派遣切りで
多くの派遣労働者が路頭に迷いました。
工場などでの派遣労働者は
寮生活をしていた方も多く
契約が切られる=寮を追い出される
という苦難に襲われました。
年を越す場所を確保できない層に向けて
東京都千代田区の日比谷公園に
NPO団体等が避難所を開設しました。
この失業者が一か所に集まる様子は
インパクトもあり
大きく報道で取り上げられました。
翌年には、公設の年越し派遣村事業が行われました。
この少し前の時期までは
日本には貧困は存在しないという主張を
堂々としていた方々もいましたが
貧困が日本でも起こっている身近な問題であると
多くの層に認識されるようになりました。
そして、働ける若年者であっても
職につけずに貧困になるということを知らしめ
「若年層であっても現在生活に困窮していれば
生活保護を受給しても良い」
という風土が醸成されたと思います。
まとめ
この2つのきっかけが
生活保護を取り巻く環境を
大きく変化させたと思っています。
現在は、生活保護をとても受給しやすい
環境であると思います。
15年くらい前の生活保護について
見識をお持ちの方は
現在の生活保護制度の運用状況について
信じられないかもしれません。
※追記
新型コロナウィルス拡大に伴って
生活保護の申請時にも
今まで見られなかった柔軟な対応が
見られるようになりました。
新型コロナウィルス拡大が
3つめの節目になりそうな気もしています。
これら事件を振り返ってみて
特に、昔の生活保護制度の知識のある
年配の方にお伝えしたいのですが
「本当に困窮したら生活保護を受給する
という選択肢がある」ことを
多くの方に認識して欲しいと思っています。