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【たまにはうなぎが食べたいぞ】生活保護のデモをする意義

先日「生存権を求める京都デモ」という生活保護デモが京都市で行われました。
その場では

「たまには旅行に行きたいぞ」
「たまにはオシャレもしたいぞ」
「たまにはウナギも食べたいぞ」

とデモで主張した事もあって、物議をかもし、生活保護を経験した投稿者としても色々考えさせられるものがありました。
今回はそのお話をテーマに、思ったことを色々と述べてみます。動画を投稿してみましたが投稿後、さらに思うこともあり、文章にしてみようとも思いました。動画もご視聴いただければ嬉しいです。

目次
1そもそも生活保護費はうなぎを食べたり旅行に行けない水準なのか
2「もし自分が生活保護になったらどうするんだろう」
3デモするくらいなら働け?
4朝日訴訟という成功例
5生活保護でもきつい地域がある
まとめ

そもそも生活保護費はうなぎを食べたり旅行に行けない水準なのか

さてこのデモ「生活保護費を上げろ」というものなのか「生活保護でうなぎを食べたり旅行に行ったって良いじゃないか」という主張なのか、どちらの主張かよくわかりませんでした。
主催した団体は、2013年からの生活保護費の減額が気に入らないみたいなので「生活保護費を増やせ」と主張したいのだとして話を進めます。

まずはこの主張が妥当かどうか、この主張をするなら、そもそも今はうなぎもおしゃれも旅行も生活保護下に置いて実現不可能なのかも見てみます

言ってしまいますが、うなぎ食べたい、というのは今の生活保護費で単身世帯であれば家賃を除き月7万円を使えるなら実現可能範囲内です。
ただ、使えるのが月6万円台の地域もあり、その場合は難易度が跳ね上がってしまいます。この話は、後に述べます。

2023年10月現在でも、スーパーで2000円前後で国産のうなぎは買えるのでそれを調理すればよいです。
何より毎日食べるわけではありませんし、
個人的には、中国産は味の大雑把さや骨の太さが気になるので、もっと安い中国産がある!とは言いません。

旅行に行きたいというのは、高速バスや青春18きっぷを使ったり、安い平日のオフシーズンに合わせて旅行すれば言う程お金かからないです。
ピークシーズンに新幹線や飛行機で遊びたい高級旅館泊まりたいというのは難しいですが、今の生活保護費でうなぎや旅行は十分に実現可能だと考えます。

デモの声を真に受けると、現状では生活保護でうなぎや旅行が出来ないように聞こえますが、できます

勿論、酒やたばこやパチンコにお金を使っていては、旅行やうなぎまでお金は回らないかもしれません
ですがそれは、旅行やうなぎの代わりに酒やたばこなどを楽しんだ、つまり別の形で健康かどうかはさておき文化的な生活を送れたということになります。
それも楽しいお金の使い方をしたということで、それでいいと思います。

「もし自分が生活保護になったらどうするんだろう」

デモを懐疑的な目で見る人、さらに突っ込んで、生活保護費の削減や生活保護での暮らしを制限すべきだという声もあります。
その声に対して向けられる反対意見として、生活保護を厳しく言うけど、自分が生活保護になったらどうするのかな?という主張ってありますよね。

私自身は、生活保護経験者で、現在は普通に働いています。
正直仕事の出来も良くないし、将来の年金額も少ないので、そのうち生活保護になる可能性は捨てられません。
なので、生活保護で暮らしていけない水準となれば、私自身は困ります。

それを踏まえて今の生活保護制度を見ると、今の生活保護水準で問題ないです。
生活保護費は多くは無く、家賃を除けば自由に使えるのは6~7万円前後少ない?という意見はあるでしょうが、いや十分です

もし健康なまま生活保護を利用せざるを得なくなった場合であれば、普通に働いている人と比べ「時間」という超強力な資源がありますので時間にものを言わせて何でもできます。
「時間」というのは「お金」と違うベクトルの、あれば何とでもなる資源です。
個人の能力に左右される面が大きいですが、何の問題もありません。

そして、生活保護の中にも働いている人がいますが、そんな方は1.5~2万円程手元に残るお金が多くなりますね
このパターンも問題ありません。

いやいやそもそも働けないから生活保護なんだ、という状況の方もいらっしゃるかと思います。
であれば、障害者加算というものがあるのでそちらも利用すればいいです。障害者加算の分、生活が楽になります。
このパターンも問題ありません。

障害者ではないけど高齢者なんだ、と言われましても、高齢者の半数は働いています。
というのは70歳以下に限った話で、さすがに言いすぎになりますが、90歳になるような全年齢の高齢者をひっくるめても、就労率は37%、3人に1人が働いています。
なので働ける以上は問題ありません。
自分だけ働くなら辛く感じるかもしれませんが、周りも高齢労働者ばかりでしょうし、こんなもんだと割り切れるでしょう。
昭和ならともかく、人生100年時代とのたまう令和というのはそういう時代です。
生活保護界隈では時折、生活保護は働けない60歳以上の高齢者が多数なんだという主張が散見されますが、高齢者がそのまま働けないと思われた時代ってとっくに終わっています。
なので問題ありません。高齢になっても働きたくないという気持ちとどう向き合うか、ただそれだけの話です。

実際に高齢で働けないほど弱ったなら旅行をする体力も無いでしょうし、文化を楽しむという状況ではなくなると思います。

以上のように色々なパターンを考えましたが、今の生活保護水準で生活保護になってもそう金銭的な面で困るかな?と言うのが正直な感想です。

デモするくらいなら働け?

生活保護法の第4条に(保護の補足性)というものがあります。
「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものをその最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」という条文となっています。

それを踏まえると、デモできるなら働けるんじゃないか?なんで働かずにデモしてるの?
という意見は出るでしょうし、避けられません。
そもそもの話で、「生活保護は働けない人が利用するもの」という思い込みもいまだに広くあります。

ただ、生活保護利用者の多くはデモする余裕がある時は日雇いや作業所でも働いています。
もしくはデモするほどの体力、気力など無いかのどちらかです
デモを行って世の中に意見を述べるなら、その気力・体力はまず自分の生活を向上させるために使います。

私自身も生活保護時代は日雇いなどで働くか休んでいるかのどちらかでしたし、デモをやってみようとも思いませんでした。
そもそも生活保護に不満がありませんでしたし、デモをするくらいなら働いて収入を少しでも増やすか経験を積む方が、自分にとってプラスになりますし。

私個人としては、デモ行為は体力が必要なことに加え、不特定多数の好機の目にさらされて精神的に消耗すると思っています。そのためデモ行為より同じ時間最低賃金で働く方がハードルは低いという認識なので、デモできるなら働けるのでは?という意見になります

デモをやったことのない、外野の意見でありますので、実際のデモは主催の活動家に合わせて歩くだけでもっと楽にできるものであり、働くより負担の少ないものなのかもしれません。

もしくは本人がデモの主張が正しいと思うなら、不特定多数の好機の目など気にならず、逆に注目されることで何も知らない人に現状を伝えられるという肯定的な解釈になるのかもしれません。

と言っても、例のデモは、「生活保護受給者」のみで構成されたわけではなく、「生活保護受給者や支援者」が参加と言っています。純粋な生活保護利用者は半分もいたのか、誰が主導だったのか、これは生活保護利用者の内側から出た意見だったのか、という点はすごく気になりました。

朝日訴訟という成功例

ここまでデモを否定的な目線で述べましたが、デモをすることは決して無意味ではありません。
デモとは異なりますが、声を上げ、生活保護の状況を改善した事例として朝日訴訟というものがあります。

原告が政府から1カ月600円の生活保護による生活扶助と医療扶助を受領して、国立岡山療養所で生活していたが月々600円での生活は無理であり、保護給付金の増額を求めた。
という訴訟です。昭和40年よりも前に行わせまして、当時の物価を紹介しています。
裁判中に原告が無くなり、裁判終了となったものの、その後の生活保護運用に影響を与えました。
この流れを見ると、声を上げることの意義がよくわかります。

その前に、この方は私たちから見てどういう生活を送っていたかを見てみましょう。
療養所生活なので、食費・住居費・光熱費の負担はありませんが、50年前の話なので、現在の物価水準に直せば、月6000円です。つまり1年で72000円の支給から、衣類、下着、嗜好品、スマホの利用料を賄うという生活水準です。

これを苦もなく達成できるかと問われると、いざとなったら家賃を除いて5万円程度で生活できる、と息巻いてる程度の私では無理です。
おそらくその辺にいる節約系Youtuberも投げ出すレベルだと思います。当時、そんな水準で生活を送っていた生活保護の当事者の方はすごいなと思います。

当時、新聞などで事情を知った8割以上の人も「自分ならこれは無理」と思って共感するに至ったのではないでしょうか。
という背景があったからこそ、声を上げて結果が出たのだと認識してます。逆に言えば、多くの人の共感を呼ばないデモが、好ましい結果を呼ぶかは甚だ疑問です。
少なくともこの京都でのデモは、共感ではなく多数の反感を呼ぶ結果に終わったのではないでしょうか。
本人が満足しているのなら良いのかもしれませんが、本当にこのデモを成功させたくて、生活保護の苦しい生活に注目を集めたくてやったかどうかは疑問です。

生活保護でもきつい地域がある

これで話を終わらせると、生活保護で暮らすのは余裕であり、デモで声を上げるまでも無い、という印象を与えるかもしれませんが、そこまで単純な話にはなりません。
生活保護というのは年齢、そして地域によっても千差万別であります。

家賃を除けば7万5千円以上を自由に使える地域がある一方で、生活保護費が家賃を除くと6万5千円になるような地域も存在します。
そういった地方も一緒にして、生活保護で暮らすのはどこでも余裕ですよと掲げるのもさすがに無理があるような気がします。

私の今の生活費も、家賃を除いて月6~7万円なので、家賃を除いて6万5千円で暮らせとなると、余裕はなくなります。
東京のような地域でしいたら余裕でしかありませんけれど。

今回のデモが行われた京都市は生活保護費が最も多額の地域ですが、生活保護費が少額の地域でデモをしたという話をなかなか聞かないのですよね。
私が知らないだけで行われているのでしょうか。
それとも、デモは都市部でやってるから京都市でのデモの参加者に、生活保護費が少額の地域からの参加者とかいたのでしょうか。

だとしても、生活保護費が少額の地域では、デモをするため都市部に出るための交通費を出すのも難しい気がします。
デモを行うために交通費が1000円かかるとしますと、生活保護費の多い地域と少ない地域での難易度は全く異なります。

回りくどくなりましたが、この京都でのデモが批判的に見られる裏では、このようなデモすら行えないほど生活保護費に余裕のない地域があるのでは?と思いました。

まとめ

「生存権を求める京都デモ」を知って思ったことはこんなところです。
否定的な面を多く上げましたが、デモで声を上げることには意義があります。
ただ、「たまにはうなぎも食べたいぞ」という主張が共感を呼ぶとは思えないので、もう少し何とかならなかったのかと思います。

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