プライドの捨て方
困窮した人が人生を再構築するにあたって障害になるものとは何でしょうか?私は『プライドの高さ(自意識の強さ)』だと考えます。
自分と他人を比較して、何かしら自分が他人を上回っている要素を探していませんか?理由を付けて他人を下に見ていませんか?それで人生に支障が無ければ問題ありませんが、もし自分が困窮した時にはプライドは邪魔です。
生活保護を受給して、生活保護受給者になることが正解だと思いつつ、プライドが邪魔していませんか?アルバイトでも働いた方が良いはずなのに、アルバイトなんて…と、プライドが邪魔して行動できなくなっていませんか?清掃、介護、タクシー運転手、警備の仕事を見下していませんか?困窮した時にどうすれば良いか、理屈ではわかっているのにプライドが邪魔になっていませんか?今回は、人生の妨げとなった時のプライドの捨て方を考えます。
プライドの捨て方
・ プライドより大事なものを考える
・ 他者に原因を求めるのを止める
・ 自分のダメなところを認める
・プライドを捨てることを許さない人とは距離を置く
プライドより大事なものを考える
まずはプライドと○○、2択になった時にプライドより大切なものを考えましょう。
例えば、大学出たのに警備の仕事なんて恥ずかしい…と考える方がいらっしゃるかもしれませんね。見栄の問題だと思いますが、見栄を張ることは自分自身の命より大切なものですか?命とまではいかなくても、お金と比べてどちらが大切でしょうか?
また、親1人世帯で生活保護を受けた方が良い経済状況ながら、お子さんに生活保護を受けさせて負い目を作りたくない…という親御さんもいらっしゃるかもしれませんね。お子さんの健康で文化的な最低限度の生活より大切なことですか?
まずは物事に優先順位を付けてみましょう。
プライドより優先して守るものがあれば、それを守るためにプライドは捨てられるはずです。私の場合、物事に優先順位をつけるとこうなります。
自分の命、健康>お金>仕事>人にばかにされないこと(プライド)
という調子で、プライドより大事にしたいもの、プライドよりも大切でないものを洗い出してみましょう。
他者に原因を求めるのを止める
何か物事が上手くいかなかったとき、自分に原因を求めますか?他人に原因を求めますか?ここでプライドの高さゆえに自分に原因があることを認めず、他人に原因を求める人がいます。確かに、他人が原因で上手くいかないこともあります。ですが物事は単純ではなく、他人か自分どちらかが注意していれば、失敗を防げたような事例もあります。
なので、誰が悪いとか考えるのは時間の無駄です。何かが起こった時は、とりあえず原因を自分に向けてみましょう。
世の中には自分の努力でどうにもならないこともありますが、自分自身の努力でなんとかなるものもあります。それをまずは他人の努力に向けてしまうと、世の中の自分の努力で解決できることを捨てることになります。勿体なくありませんか?
自分のダメなところを認める
人を見下してしまうタイプの方は、自分に問いをしてみて下さい。現在の自分は、客観的に見て見下している相手の○○さんより勝っているのでしょうか?○○なら勝っている、とか変な条件を付けたりしてませんか?
また、仕事などで「○○が出来ない」という報告を上げるのが遅い方がいます。私もそうなのですが、「○○が出来ない」という事実を認めたくない気持ちがあります。まずは「できない」という事実を認めましょう。出来ないという事実を認められない方は、逆に出来ているのか?という視点で事実と向き合うと、少し冷静になれます。
プライドを捨てることを許さない人とは距離を置く
中には、自分自身には変なプライドは無くても、周囲にプライドの高い人がいて、それに引きずられる人もいます。また例えば「困窮して生活保護を受けるならお前とは縁を切る!」と言ってくる親戚もいるかもしれません。それで助けてくれるならともかく、自分でなんとかしろと言ってくるなら、どうにもなりませんよね。そんな方とは距離を置いて構いません。これが親戚ではなく家族になるとなかなか面倒ですが、代わりに何をしてくれる?の視点で問い詰めましょう。
もちろん友人などなら、さっさと距離を置きます。
プライドを捨てたら
私はこれまで生活保護を受給したり、日雇い派遣や警備の仕事をして、人生で詰みかけた時にすごく役に立ちました。ただ、プライドの高い方にとっては難しいかもしれませんね。特に生活保護を受給することは、自尊心の高い方には受け入れがたい点があるかもしれません。
私は基本プライドを捨てていますが、大分楽に生きられていると思います。とはいえまだまだ仕事では「良く見られたい」という気持ちを捨てきれません。改善していきたいと思います。